2018年2月12日(日)
寒い日が続きますが、2月中旬になり、梅のつぼみがふくらみ、咲き始めています。
天神橋2丁目にある大阪天満宮では、10日から、盆梅と盆石展が開かれています。
10日から12日の間は、境内で天満天神梅酒フェスもあり、多くの人で賑わっていました。
梅酒フェスへ出かけたついでに、盆梅と盆石展へも寄ってきましたので、今回は、盆梅の魅力を精一杯伝えます。
最初に断っておきますが、盆梅も盆石も、全く素養がありません。
ですが、何となくで称賛していきます。芸術は好き勝手に楽しめばいいのです。
最初に出迎えてくれるのが、樹齢百年の鶯宿(おうしゅく)です。この大胆な動きはさることながら、特筆すべきは、幹のもとの位置までかえって伸びている枝と、鉢の10センチほど上まで垂れ下がった枝です。この2本が、ありがちな形を劇的に変える官能基になっているのです。この盆梅はどれほど見ても隙がなく、幹の枯れ具合、割れ方から、ケチの付けようがありません。しかし、何か、歯牙にもかけない奴らと伍するを嫌う感じも受けます。山月記の李徴のように、孤独が心を蝕み、昔年を悔いる日がくるのかもしれません。
この野梅(やばい)は何よりも、二つに裂ける寸前で堪えている危うさが一番の魅力です。もちろん私の身体がこのように裂ければ、生きていれません。大好きな鯖の味噌煮を食べても、途中でこぼれてしまいます。これだけ身が裂けても花を咲かせ、実をつける植物の生命力には嘆息せざるを得ません。もう来年は見られないかもしれないという不安も、おそらく杞憂となるのでしょう。
こちらの野梅は、身をよじり、軽快なリズムに乗っているように感じます。短く整えた髪をセットして、両手を開き、私をダンスに誘っているかのようです。少しの間、この老紳士の胸に身を預けてもいいかなと思ってしまいます。
この黒松は、動きもなく、動いていないのに、動物にしか見えません。角の立派なトナカイが威風堂々鎮座しているようです。トナカイの長老なのでしょう、食料生産の計画や、移動の際の休憩の場所などの群れの重要な決定は彼が行い、いざとなれば、天敵が震え上がり逐電するほどの恫喝をします。しかし、高齢のため、普段は滅多に動かず、眼を閉じ、静かにしています。いずれ、このまま、死んでいくのです。‥‥このように、いくらでも想像が膨らんでいく。この松の素晴らしさが伝わると思います。
この大和野梅を前にしたとき私は、地に手を付き頭を擦り付けている自分を頭のなかで描いてしまいました。対座など到底できず、跪拝によって迎えるしかできない風格があります。300年の重みはその顔やしぐさに滲み出ています。この方の傍に侍る資格など、到底私にはないと、気恥ずかしさに耐えながら、先へ進んでいきました。
これ以外にも、盆梅はたくさんあったのですが、紙幅の関係で、これまでにします。
すみません、盆石も紹介できませんでした。
今はまだ、つぼみの盆梅が多いのですが、花が咲いたら、違った印象を受けると思います。見ごろになれば、また行ってみます。