引き続き『老人必用養草(ろうじんひつようやしないぐさ)』を紹介します。
この本は香月牛山(かつきぎゅうざん)が1716年に著した本です。
老人の養生、老人への接し方など現代にも通じるいろいろな教訓が書かれていて、今読んでもためになります。
今日は身体の保養に関する部分を抜粋して読んでみます。
【原文】
・年老ては手足をひたと撫で気血をめぐらすべきなり。手足の指を屈伸する事、一日一夜に十余度すべし。臥すにのぞんでは膝より下、脛(はぎ)より足心までを侍婢・侍童の類の手をして按摩(なでさすり)すべきなり。それも冬月はなすべからず。閉蔵の時は按摩によろしからず。手足に心をつれて屈伸する時は、卒中風(そっちゅうぶ)の患なし。
・老人は常に気とぼしきによりて眠やすし。されど、又わかき時のごとく熟睡する事もならず、昼はねぶりて夜は眼さむるなり。
・古人の説に、「眠は目の食なり」といひて、眼は眠を持ざれば養ふべき事なし。飲食の人を養ふにことならず。飲食過る時は其身を害し、眠過る時はその眼を害す。眠の慾を禁ずべきなり。
・朝起るとそのまま井に臨で水面を見るべし。是を「井華を服す」と古人もいへり。井の水より地中の清陽平旦に上升する時なれば、其気を眼にうけてエイ膜をさり、眼精を明かにするなり。毎朝をこたる事なかれ。
・老眼の養ひやうは、青々としたるを見て睡をさまし、物にまぎれて昼臥すべからず。夜は人定霄(夜の四つをいふなり)の比、或いは子の刻ばかりに至りて寝るべし。
・老人は血すくなき故に、熟睡する事なくて寝覚がちなり。朝はとく目覚る事なれば、はやく起て上にいふ所のごとく、井華を服し、春二月半より秋八月末までは、庭に出て草木の青みを見るときは、眼の病といふ事なく、眼性もつよきことなり。
・老人は気血とぼしければ、多言をなし、声高く喚などすれば、心脾をやぶりて元気をもらす。常に黙然として養ふべきなり。
・食後に温茶をもて口漱べし。魚味の穢臭を去て快し。東坡の説に「食後濃茶をもて口を漱ば煩シュウ(月+戢)既に去て、脾胃をのづから清し」といへり。
【訳文】
・歳をとってからは手足をしっかりと撫でて気血を巡らせるのがよい。手足の指を曲げ伸ばしするのを、1日に十数回する。寝るときには、膝より下、ふくらはぎから足の裏中心までを、小間使いや小僧などに手でさすらせるべきである。しかしそれも冬はしてはいけない。気を発散させずに蓄えるべき時期は按摩はよくない。手足を意識して曲げ伸ばしすれば、卒中の心配はない。
・老人は常に気が少ないので眠りやすい。だが、また若い時のように熟睡する事もできず、昼は寝て夜は目が覚めるものである。
・古い人の説に、「眠りは目の食事である」といい、眼は眠りがなければ養うことができない。飲食が人を養うことと違いはない。飲食が多すぎる時はその身を害するように、眠り過ぎればその眼を害する。睡眠欲を慎むべきである。
・朝起きたらそのまま井戸へ行き水面を見るのがよい。これを「井華(せいか)を服す」と古人も言った。井戸の水から地中の清らかな陽気が昇る時間なので、その気を眼に受けてかげりを去り、眼を明るくする。毎朝欠かすことのないようにしなさい。
・老人の眼を養うには、青々としたものを見て眠気を覚まし、雑多なことをして昼寝をしてはいけない。夜は10時、あるいは12時ごろになったら寝なければいけない。
・老人は血が少ないために、熟睡する事がなく寝ていても目覚めがちである。朝はやくに目が覚めたら、早く起きて上に言ったように、井華を服し、春2月半ばから秋8月末までは、庭に出て草木の青さを見れば、眼の病もなく、眼の力も強くなる。
・老人は気血が乏しいので、たくさん喋り、声高く人を呼ぶなどすると、心脾を傷つけて元気を漏らしてしまう。常に寡黙にして養生するのがよい。
・食後に温かい茶で口をすすぐのがよい。魚の臭みを去って心地よい。蘇東坡の説に「食後に濃いお茶で口をすすげば生臭さや気持ち悪さが去って、脾胃が自ずと清くなる」という。
次は、体の保養のお話後半です。
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