引き続き『老人必用養草(ろうじんひつようやしないぐさ)』を紹介します。
この本は香月牛山(かつきぎゅうざん)が1716年に著した本です。
老人の養生、老人への接し方など現代にも通じるいろいろな教訓が書かれていて、今読んでもためになります。
今日は身体の保養に関する部分を抜粋して読んでみます。
【原文】
・呂純陽の説に「我を生ずるの門、我をころすの戸」とありて、つつしまずんば有べからざるなり。聖人も「人わかき時は血気まさに剛(こは)し。是をいましむる事、色にあり」とのたまふ。いはんや老人の血気漸々に涸て精血薄くなり、もてゆくにおゐてをや、これをつつしまざらんや。
・素女の説に、「人、年二十の者は四日に一たび泄す。三十の者は八日に一たび泄す。四十の者は十六日に一たび泄す。五十の者は三十日に一たび泄す。六十の者は精を秘してもらす事なかれ。もし体気共にさかんならば一月に一たび泄すべし」といへり。これその大概をいふなり。
・色慾の事は人の生まれつきによりて格別に厚薄あるものなり。腎精弱きものは此数にかかはるべからず。精力をおしみて交接をまれにすべし。おほくは色慾も忽せになるものなり。
・又人によりて、わかき時は色慾の念もうすく、陽事もすくやかならぬもの、中年以上より陽事さかんに慾念つよくおこる事あり。これ以ての外の悪しき事なり。陰血涸て孤陽のたかぶればなり。燈(ともしび)の消えんとては、ひかりを増すにたとえたり。愚なる人は、わかき時よりかへりてつよくなりたるなどといひて、心のままに慾をむさぼりて卒病を生じ卒死にいたる。この時よく心をつけて慾念をおさへ、つつしみたもつときは、陰血生じて邪火しりぞき慾念おさまりて、老人の常となりて病も生ずる事なく、長寿を得る事なるべし。
・老人陽事萎ておこらずとて陽をひきおこす薬、烏頭・附子の類を服すべからず。丹渓もこれをいましむるに「およばざる事をおそれて、すくふに燥毒を以てす」といへり。孤陽たかぶりて陰血いよいよ減ずる事をしるべし。
【訳文】
・呂純陽の説に「(陰部は)自分が生まれてくる門、自分を殺す扉」とあり、慎まなければならない。聖人も「若い時は気力体力が盛んである。まず戒めるのは、色にある」と仰っている。なおさら、老人は気力体力が徐々に涸れて減り、精血が薄くなり、次第に衰えていくのだから、これを慎まなければならない。
・『素女経』に「ひとは、二十歳の者は四日に一度交接する。三十歳の者は八日に一度交接する。四十歳の者は十六日に一度交接する。五十歳の者は三十日に一度交接する。六十歳の者は精を留めてもらしてはいけない。もし、気力体力ともに盛んであればひと月に一度交接してもよい」とある。これは慎むことに関してほとんどを言っている。
・色欲には、人の生まれつきによって、とても個人差があるものである。腎精が弱いものは前の数字を参考にするべきではない。なるべく精を大切にして、交接を少なくするべきである。多くは色欲もさほど強くないものである。
・また人によっては、若い時は色欲が弱く、交接もままならないものでも、中年以降に欲が強くなることがある。これは特によくないことである。陰血が涸れて少なくなり、抑制がきかず独り陽がたかぶるためである。燈火が消えそうになるときに、かえって光が強くなることに例えられる。愚かな人は、若い時よりかえって強くなったと言って、ほしいままに欲をむさぼり、突然の病を生じて、突然、死に至る。この時によく気を付けて欲を抑え、慎んでいるなら、陰血が生じて邪火が退き欲情が収まって、一般の老人と同様になり、病気となる事もなく、長寿を得ることができる。
・老人が勃起不全だといって陽を引き起こす薬、たとえば烏頭や附子の類を服用してはいけない。朱丹渓もこれを戒めるために「できないことを恐れて、救うのに燥毒を使う」という。(補陽の性質によって)孤陽がたかぶって(燥の性質によって)陰血がますます減ることを理解すべきである。